薄れて行く










空が淡く光り出したら、それは新しい一日の始まりを意味する。夜を支配する静寂が隠れ、変わりに色々な気配が動き出す。そして、私は永い眠りから覚めるようにゆっくりと目を開ける。カーテンの隙間から朝日が差し込むのを目にし、思わず瞼を手の甲で擦るのを合図にしたように部屋の扉がノックされるのが日課だった。ガチャ、という音と共に扉が開かれる。
「おはようございます、カレン様」
「おはよう」
シュタットフェルト家はブリタニアの中で、特にエリア11においては有数の名家であり身分や資産に富んでいた為、幾人かの使用人を雇うことなど容易いことであった。その中でも唯一心を許せるようになったこの使用人だけが、カレン付きとなっていた。
「今朝はどうなされます?」
「先にシャワーを浴びたいから、準備をお願い。朝食はいつも通りで」
「分かりました」
「それから、今日は生徒会の用事で帰りが遅くなるから…。何か聞かれたら、そうお母様に伝えて頂戴」
「はい」
はっきり云ってこの会話は面倒くさい。出来ることは何でも自分でやりたいのに、立場がそれを許さない。本当に迷惑な足枷だ。了解したとの意を伝える為頭を下げた彼女は、タオルなどの準備をし、再度恭しく頭を下げて、朝食の準備をしに階下へと下りていった。同時に服を脱ぎ捨て、適当に部屋の一角に設置されたソファの方に投げてよこした。その内使用人が片付けてくれるだろう。自分で畳まず彼女たちの仕事を取らないことが、カレンにとって最大の譲歩であった。
そしてそのままバスルームへと向かう。扉を開け足を踏み入れると、足の裏に感じるヒヤリとした感触が心地良い。コックを捻り温かいお湯を全身に満遍なく掛ける。充分泡立てたボディーソープで全身をくまなく洗い、シャンプーとトリートメントで髪の毛を丁寧に洗う。シャワーを止め、すっかり温まった躯を真っ白で柔らかなバスタオルで包み、そのまま無駄に豪華なドレッサーへと向った。鏡の前に座ると、丁寧にドライヤーで乾かして行く。この紅い髪は放っておくと酷く癖があり、毎朝手入れには気を使っている。髪が乾きいつも通り手入れが終わると、既に使用人によって用意してある着替えへ手を通す。毎日着ているのに、何故か毎日綺麗に糊付けされた制服。当初は袖を通す度に違和感を感じていたが、最近ではそれにも慣れてきた。
用意を終え階下へ行くと、香ばしい匂いが鼻を突く。準備された朝食を平らげ、カレンは学校へと向かった。


×××


足取りは重い。昨夜はあまり眠れなかった。聞き慣れた声に顔を上げる。アッシュフォード学園の校門が近付くと、顔を見知った数人が声を掛けてきた。
「カレン、おはよう!」
「あっ、おはよう」
「最近よく学校に来てるけど…体調大丈夫?」
「そうそう、無理しちゃ駄目だよ?」
「ええ、大丈夫…」
「そう?それなら良いけど…」
「心配掛けてごめんね」
「いいのいいの!あっ、じゃあ私たち当番があるから先行くね」
駆けて行くクラスメートの背を見送り、カレンは溜め息を零す。いい加減病弱を装うのにも疲れた。いつまでこの仮面を被っていなきゃならないんだろう、そう思い視線を右の手のひらへと移す。昨日何度もこの手で敵を撃ち落とした。1、2、3、4……数え上げるとキリがないその数。覚悟はとうに決めた。今更引き返すつもりなんて微塵もない。それは、ゼロの正体を知ってしまったときから心に決めていた。



つまらない授業を終え、その足を生徒会室へと向ける。その足取りは、今朝学校へ向かう時よりも重くて。既に秋色を仄めかしている木々は、いつもと変わらず穏やかに照りつける太陽の元で吹き交う風にさやさやと柔らかに揺れていた。
その日感じた違和感。何かが違うと、警告音が頭の中に響き渡る。一体これは何なのか。今朝席に着いた時から、何かがおかしかった。いつも一緒に話しているルルーシュとスザクの間に感じる壁。けれども感じるそれは、拒否を意味するものではない。そして確かなものを得られぬまま、放課後がやって来た。

嗚呼、憂鬱だ。何故ここまで憂鬱なのか、自分でも分からない。だが、確かにそれは自分の感情だった。



重たい脚を引きずってやってきた生徒会室の扉をノックすると、中からは聞き慣れた弾んだ声が聞こえてくる。
「はいはーい!」
「ごめんなさい。ちょっと、遅れてしまって…」
部屋の中を見渡すと、机を囲んで座っている生徒会の面々。その中にはここ数日で個性的な生徒会メンバーに馴染んだ転校生、枢木スザクもいた。いつもと変わらぬ風景。だが、何かが違った。それに気付いた者が他にいるかは分からない。もしかしたら私だけかも知れない。それくらい、それは自然に覆い隠されていた。
「カレン?座らないの?」
いつの間にか物思いに耽っていたのか、気付くとシャーリーの顔が目の前にあった。
「え、ええ…」
「大丈夫?もし気分が優れないなら医務室まで付き合おうか?」
「いえ、大丈夫…」
変に思われたかも知れない。
会長やリヴァル、スザクの視線も此方を注視している。慌てて荷物を降ろして椅子を引いた。向かいの席では只一人ルルーシュだけがいつもと変わらず何かの文献を捲っている。その様子を見て思う。やはり何かが違う。必要以上に、彼の纏う空気が堅くなっている。高圧的と云うには脆い其れ。何かを守ろうとするような。しかしそれが何かだなんて私には分からない。私が知っているのは、『ゼロ』と交わした誓いだけ。それ以外に私が信じるものはない。知る必要もない。
そう思っていた。そう信じていた。

しかし、それは唐突にやってきた。



生徒会室の窓から一望出来るグラウンドを走り回る影を追いながら、時折耳に入ってくる会長の言葉に合わせて書類を捲る音が響く。あれからどの位経ったのだろうか。いつもなら短時間で済む会議が途轍もなく長く感じる。終わった頃には全身が脱力する程に張っていた。
「じゃあ、今日はこれで終わり〜!」
生徒会の業務を終え解散の合図が響き渡り、シャーリーやリヴァルが一様に気の抜けた声を発する。いつも通りのいつもの流れ。その筈だった。
帰り支度を終え席を立とうとしたところで、―――それは起こった。

ガタッという音が響いたと同時に全員の視線が其方を向く。一瞬捉えた視線の先に見えたもの。視覚からの伝達と声を上げるのがほぼ同時に起こった。
「ゼ……!」
『ゼロ』と云い掛けたその口を押さえるのとどちらが早かっただろう。
「ルルーシュッ!!!」
あまりに突然のことで皆一瞬思考が追いつかなかった。椅子から立ち上がった途端に、重力に逆らうことなくゆっくりと傾いたルルーシュに駆け寄ったのは枢木スザクだった。側ではシャーリーがルルーシュルルーシュと訳も分からず同じ言葉を繰り返している。駆け寄ったリヴァルを制したスザクはルルーシュをいとも簡単に抱き上げ、ミレイと一言二言交わすと医務室へと向かって行った。
何気ない仕草に何気ない行動。けれどもその時、私は気付いてしまった。どうしようもない真実。
そのまま医務室まで彼等の後を追った。耳にした声は、それを確信へと変える。

「ルルーシュ、無理しちゃ駄目だよ」
「いや、大丈夫だから…心配掛けた」
「もっと頼っていいんだよ。僕は君の…貴方の騎士なんですから」





私の信じたものは一体何だったのか。
目の前を支配する闇にこのまま呑み込まれてしまえば良い。

差し出された手を信じることすら、私には許されていないのか…











(yui)