Grass and hay, we are all mortal.










真っ直ぐに伸びた背中が目の前にある。
眦が熱くなる。
身の程を知らぬ感傷。
それでも。





「バトレイ」
穏やかな声がして、知らず落ちていた目線を上げた。
振り向かないままの背中。
手折られた花が、ただ一心に見つめた背中。
自らを呼ぶ声に早く応じなくてはと思いながらも、喉の奥が引き攣って何一つ言葉が出ない。
応えないバトレイを叱るでもなく、シュナイゼルは小さく笑う。
「状況がまだ、呑み込めていないようだね」
確かに、今のこの状況はバトレイにとって理解しがたいものではあった。
突然のことだ。何の前触れもなく拘束を解かれ、ブリタニア第二皇子との面会を許された。
クロヴィスの話を聞きたい。
頭上に降り落ちた声が、確かにそう言った。
「ここではろくな話もできそうにないな。ついて来い」
謁見の間を後にして、真っ直ぐに廊下を進むシュナイゼルにバトレイは付き従う。
一欠けらの迷いもなく悠々と歩むその背中に、ひとまわり小さな背中が重なる。
見慣れた小さな背中はわずかに頼りなげに揺れ、重なりきらない其れがまたバトレイを悲しくさせた。




バトレイはシュナイゼルの自室らしき一室に招き入れられ、椅子に掛けるようにと促された。
「申し訳、ありませぬ」
搾り出した言葉は、低く重く、ただ地面に落ちて消える。
バトレイはシュナイゼルの顔を直視できない。
謝罪の言葉になんの意味があろう。
わかっている。わかっていても。
「違うのだ、バトレイ」
穏やかな声が、何を否定したのか。量りかねて顔を上げる。
「聞きたかったのは、その話ではない」
シュナイゼルの表情は、声音と同様に穏やかだった。
「クロヴィスが生きていた話を」
聞かせてくれ、バトレイ。




胸の底、何層にも重なり濁った泥が、わずかに揺れる。
バトレイはその汚濁の中に、かつて在った青をさがす。
透明な、どこまでも澄んだ青。
今はもう喪われてしまった青が、望み続けた紫。
それが今、バトレイを静かに見つめる。




「クロヴィス殿下は」
頭の中で警告が鳴る。
言うべきではない言葉。
言う権利のない言葉。
言っても仕方のない言葉。
頭ではわかっている。
だからこれはきっと、胸の奥、軋みを上げる臓腑から零れる言葉。
「貴方のように在ろうと」
声が震える。
「生きておられた」




自らの声が耳に残り、部屋に降りた沈黙を際立たせる。
静寂。建物のどこか遠く、ざわめきがぼんやり聞こえる。




暫らくしてバトレイの鼓膜を揺らした声は、あまりに穏やか。
「知っていたよ」
シュナイゼルは困ったように微笑む。
「あれはそうすることでしか、人の上に立てなかった」
欠けていたのだ。
おぎなう方法はひとつしかなかった。
ひとつしか与えなかった。




「クロヴィスは、生きるために」
それは、と思う。
それは違う。
言葉にはしない。してはならない。
バトレイはきつく眼を閉じる。




あの方は、貴方を。ただ、貴方を。




痛みに耐えるように顔を歪めるバトレイを見つめ、シュナイゼルは静かに口を開いた。

「クロヴィスは忘れられてしまうだろう。時を待つまでもなく。人も、世界も、あれを忘れる」
静かに流れる声音。
「わたしもまた、やがて忘れ、そうしていつか忘れられる」
バトレイには何も言えない。ただ、瞼を伏せて。
遠い、と思う。あの方が焦がれた背中はあまりに遠い。




「バトレイ、感謝している」
思いがけない言葉に、口の中で堪えたものはうめき声として零れた。
それを見て、シュナイゼルの表情が和らぐ。
「あれは、……クロヴィスは、感性だけの生き物だ。理性でなく感性で動く」
シュナイゼルは可笑しそうに笑う。昔からそうだった、と瞳を細めて。
「だから、バトレイ、おまえを頼った」
息が詰まる。ぐらぐらと、眩暈がする。
「自分は……、しかし自分は」
「異母弟の側にいてやってくれてありがとう」
生きている間に、側にいたおまえと。




「わたしは……」
紫の双眸が宙を彷徨う。
「わたしが今度は、あれの背を追う」
逃れられない道の先に。
不可解そうなバトレイに笑って言う。
あまり早く追いつくと怒られてしまいそうだ。




「バトレイ、おまえはどうする?」



応じる言葉はひとつ。





向かう先は、みな同じだ。











(芋づる式)