甘い甘いお菓子をあげよう










―――お母様…!!!

久々に、夢を見た。
それも、最も思い出したくない、夢。
赤一触に塗れたその夢は、未だ兄妹を縛り付ける残酷な足枷。
振り返りたくない過去は、今なお二人を追い掛け苦しめる、赤。

私の覚えているお兄様は、いつも薔薇に囲まれて微笑んでいた。それは、いついかなる時も変わらない、私の中だけの普遍の事実。あの惨劇以来光を映さなくなった両眼は、兄ルルーシュの成長と共に生長を止めた。
「ナナリー、起きてるかい?」
コンコンという控えめなノックのあと、愛すべき兄のそれまた控えめな声が聴こえた。先ほど音声で確かめた時刻は7時40分。常より10分程遅れた朝食に誘いに来たのだろう。
「はい、お兄様」
見えない瞳をドアの向こうの気配に向けながら、ナナリーは親愛を籠めて兄を呼ぶ。
「そろそろ朝食の時間だ。ダイニングへは一人で大丈夫かい」
「お兄様は先に行って下さいな。一人で大丈夫ですから」
相変わらず心配する兄の声に、ナナリーは知らず知らずのうちに安堵の溜め息をついた。
了承の台詞と共に、ルルーシュの足音が遠ざかるのをじっと聞き入る。いつもと変わらぬ、いつもの情景。毎朝響く兄の足音、挨拶を交わすときの兄の視線、同じ空間内に居る時に感じるルルーシュの存在、その動作の一つひとつ。それらの全てを確かめることが、いつからか日課となってしまった。五感の全てを使い、最も信頼すべき信愛すべき存在を確かめることにより、自らが生きているという実感を得ている。今さらルルーシュがいない世界など、如何にして生きることが出来よう。お互いに依存し共存しているのだ。だからこその箱庭だというのに……
―――枢木スザク。
その名が全てを変えた。
日本最後の首相・枢木ゲンブの嫡子。ただの人ならまだ良かったのだ。それが、騎士侯という地位を得てしまったことが全ての歯車を狂わせてしまった。
「嗚呼、お兄様……」
彼のことを何より気に留めていた兄は、いつの間にか堕ちてしまった旧友をどう思っているのだろうか。日々覇気がないことから察するに、裏切られたことに心得を痛めているのだろう。ナナリーにはそれが何より許せなかった。
スザクが如何なる路を選ぼうとも、所詮は関係のないことだ。だが、最愛の兄を悲しませる行為だけは断じて許せるものではない。先を読み 傷める心を叱咤して差し伸べた手を振り切り、空に輝く光の中から伸びた偽りの手を選んだ。
嗚呼…可哀想なお兄様!
私は知っている。
『ゼロ』
その存在の本当の正体を、私は知っている。これだけ共に連れ添っていたのだ。何時如何なる時も傍を離れなかった兄の声、姿形、オーラ・カリスマ……私が分らないわけがない、とナナリーは思った。
「………馬鹿なお兄様」
枢木スザクを信じた所為で。あんな奴なんかの為に、私のお兄様が傷心してしまったのだ。ナナリーにとって唯一絶対無二であるルルーシュの心を痛めつけた。
「馬鹿なスザクさん」
私のお兄様を傷つけるなんて。
恨みは最小に、報復は限りなく。
ちっぽけな感情に時間を割くなど無駄なこと。最大限に最短で思い知らせてやるのだ。ランペルージを裏切った代償を。それが如何に罪であったかと云う事を。

ダイニングへ行くと、ほんのりとローズティーの香りが鼻腔を突く。母が大好きだった香り。
「おはようございます、ナナリー様」
「おはようございます、咲世子さん。私にも紅茶を淹れて下さいますか」
「分かりました」
テーブルに着くと、向かい合った方からルルーシュの気配がした。カチャ、とナイフを動かす音が響く。
「お兄様」
「なんだい、ナナリー」
「お兄様は今、幸せですか?」
「急にどうしたんだい」
「お兄様は、幸せですか?」
この箱庭の中の幸福で満足してますか?ナナリーは再度問う。
その真摯な態度がルルーシュにも伝わったのか、動かしていたナイフとフォークを置いて此方に向かうのが気配で判った。その間にも、またほんのりと薔薇の香りが鼻腔を突く。甘い甘い香り。とても懐かしい香り。
「幸せだよ、ナナリー」
その口から紡がれる声は、それが真実か虚偽であるのか分らないほど、愛情と戸惑いを含んでいた。
「ナナリーが居てくれるだけで、俺は幸せだよ」
「私もです、お兄様」
それが本当なのかは分らない。けれど、お互いに支え合うことのできる人間がいることは確かだ。枢木スザクがどうであれ、お兄様には私が居れば良い。
「お兄様さえ居てくれれば、私」

世界だって、怖くありません。
ね?お兄様。










お兄様さえ傍に居れば、私に怖いものなんて何もないんです。お兄様もそうでしょう?

(yui)